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明けましておめでとうございます。と、近況。

  遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。
デンマーク、日本に関わらず、いつもお世話になっている方々、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 そして今回も長文になるので、お時間のある方だけ読んでくださいね。

 ちょっと前までは、自分の年を忘れる人が信じられなかったけど、今わかるその気持ち。
自分が本当に何歳なのかはっきりわからないことが多い。
今年は夫が年男なので比較的わかりやすい。日本には干支というものがあってよかったと
初めてそんなことに実感する自分にびっくりしてみたり。

 さて今年はなんだかんだでせわしない年末年始だった。
職業柄世間の人々が休暇の時に仕事ということが多くて
なんとなく人より働いてる気がするんだけど、実はそうでもない。平日休みが結構あるから。
ところが、今年は私がこの職に就いてから初めて(日本でもデンマークでも)!
クリスマス後の26日から1週間の休暇を頂いた!特に希望していたわけでもないけど、もらえたらやっぱり嬉しい。

 ということで時間があるのと、ホームシックなのとで無性に母と話したくて電話をかけた。
こういった休暇でもない限り、時差8時間の間で、仕事持ちの母と私の時間を合わせて電話をかけるタイミングを探すのは非常に難しい。
 
 ちなみに母はPCをはじめ携帯電話さえも持っていないので、連絡手段は母の家にある固定電話のみ。
通常22時以降ならば確実に家にいるはずなのに、何日間か続けて電話しても留守電対応のみ。

 私はとても不安になった。
母は一人暮らし。仕事はしてるけど、それ以外の交際範囲は非常に狭い。
職場の人と飲みに行くこととかもない。
なのになぜ、夜22時以降でも電話に出ないのか。

 電話を掛け続けて3日目の夜、私の不安は頂点に達し、父に電話した。
私の両親は私が日本を出た8年前から別居中。
ペーパー上の離婚はしていないけれど、その時から顔を合わせていない。

 両親別にデンマークには一度ずつ訪れてはいるし
我々も年に一度は日本に帰っているけれど、母と父と会う時は別だし
Lucasにとっても、彼らが私の母、父だということは認識しているけど
彼らが一緒に生活していた時間などは想像つかないことだと思う。

 そんな状態だけど、万が一母に何かあった場合は父にも連絡が入るのではとの思いで電話した。
しかし、父のところには何も連絡が入っていないと言う。

 いてもたってもいられない私は叔母(母の姉)に電話をしてみた。
すると彼女はちょうどその日に母の自宅に行ったと言う。母は母の実家に住んでおり、そこは叔母の実家でもある。

電車で約2時間と遠方であるが、叔母は週に1度は実家に行き
実家の庭の手入れや祖父母のお墓の掃除などをしてくれている。

 そしてその日もちょうどお墓掃除に来た叔母。その途中で仕事を早退して帰ってきた母に会ったと言う。
前々から目が見えにくくなっていると言っていたのだが、その日は本当に何も見えなくなってしまい
人の顔をはじめ、お札や時計さえも見えなくなってしまったため早退させてもらったとのこと。
帰り道、見えなくて駅で何回か転んだこと、
仕事が忙しかったのでストレスだと思う、と言っていたということを叔母から聞いた。

 その翌日再び母に電話してみる。
と、母が電話に出た。でも、やっぱり目が見えなくて
何日も電話の音は聞こえていたけど、見えなくて電話を探すことさえも億劫になっていたと。
電話越しで、母は「今、何時?」と聞く。
本当に時計さえも見えない母がここにいる。

 祖父母代からある古い一軒家に、時計さえも見えずにいる母。
遠くにいる私に心配をかけさせないよう「大丈夫だよ〜。明日は休みだし一日休んでればよくなると思うよ。」と言う母。
明日は元旦。一人で、目が見えない状態でしかもお正月で、どれだけ不安で寂しい思いをしているか。
電話で声を聞けただけでも安心したけど、もし私が日本にいたらすぐにでも行けたのに
それができない悔しさで涙がこみ上げてきた。
でも電話越しで私が泣いたら母はもっと苦しくなると思い必死で涙声を隠した。

 泣いている場合ではない。とにかく改善策を探さなければ。


 母と話し終えた後、私は再び父に電話をした。
父も私が母と連絡が取れないことを知ってからとても気になっていた様子で待っていた。
そして事情を説明。翌日父は車で2時間の母の実家まで母を迎えに行った。


 父に連絡してよかった。そして父が迎えに行ってくれてよかった。

 迎えに行く前日、父は私に「お父さんにとって本当の一生の彼女はお母さんだけなんだよ。お父さんはお母さんのためにできることはしたい。」
明日8年ぶりに、本当の彼女に再会する緊張感が声の高ぶりから聞こえた。

 8年ぶりの再会。母の実家の路地に父の車が入って行く光景。玄関先でどんなあいさつを交わすのだろう、そんなことを想像するだけで、こんなに遠くにいる私がドキドキした。

 そして翌日、父から電話。「あ、もしもし。ちょっと待ってね。」
数秒待った後、受話器に出たのは母の声だった。「お父さんが迎えに来てくれてね。今、お父さんのところでビールで乾杯してるの。話題ははあんたたちのことばっかりよ。」

 二人の声は楽しそう。私が結婚しデンマーク人の夫と会う時も両親別々、
Lucasが生まれてからだって二人は別々に会っているわけで、
今初めて私の家族についての話を二人で共有しているのだ。

 父は母を迎えにいったその足で、父宅(私の実家でもある)町の大学病院へ救急外来として行った。
一応一通りの検査を行ったが、その日はお正月ということもあり専門医がいないため
翌日再受診ということで帰宅して、再会を楽しんでいた。

 数日通い続けるも、結局母のような事例はまれならしく、原因がわからないということで母は入院することになり、昨日片目の手術を受けた。日々少しずつ母の目は改善しているようだが
まだ見える状態にはなっていない。原因がわからないままの手術ってどんな手術?父は特に承諾書とかも書いてないというし、今目が見えない母にとって自分で書くのは不可能だし、それって本当に手術?
何?それ。

 父は仕事の合間に1日2回見舞いに行っており、毎日の状況を電話で知らせてくれるのだが、
どうもこうも的を得ていない。
私としてはもう少し詳しい話を聞きたいのだが、「先生も何も言ってこないし大丈夫だと思うんだよ。
あの教授、口は悪いけどできそうな感じだから、先生に任せておけば大丈夫。」

 比較的大きな病院なので私もネットで調べ、父に「先生(教授)って○○って名前?」と聞くと
「おー!!そうそう!!!なんで知ってるの?有名なの?」
と父の医師への信頼度は増すばかり。


 ここデンマークで粗雑な対応の医者に慣れている(そういう人ばかりではないけど)身にとっては
不信感も抱くわけで、色々聞きたいことは山ほどあるのだが
医療者にとって患者の家族が医療者というのはある意味疎ましい部分もあったりするから
むしろ私はこうして父を挟んで経過を聞いていたほうがいいのかなと思ったり。

 
 
 今現在、母はまだ入院中で目も見えるようになっていないので多少なりとも不安はあるが
それ以上にこういったことがきっかけで父と母が再会したこと、
こういったことがきっかけであるからこそ、お互いがその存在の重要さに気づいたかもしれないこと
むしろ第3者である私がいなくてよかったかもしれないこと
などと前向きに考え、ここ最近はそんな2人のことばかり考えている。

 そんなこんなの年明けでした。

 それにしても感じたことは、やっぱり日本の医療って素晴らしい。
母が初めて外来受診した日に、主要項目であろう検査は全て行っている。
日本に住んでいる人にとっては当然のことと思うかもしれない。

 だけど、ここデンマークの現状はCT検査一つにしてもあまりの緊急性(転倒による出血の可能性)などない限り1週間くらい先になる。
一つ例を挙げると、クリスマス前に、私の同僚20代後半の看護師女性が首に不自然なしこりを感じて受診した。医者は「もしかしたら悪性の可能性もある」という言葉を簡単に発しながら
細胞を生検したいけど、空きがないから年明けの1月中旬以降に検査を入れると彼女に言った。
彼女は不安を抱えながら検査まで1ヶ月以上過ごさなければならない。
そんな現状、日本ではありえないと思う。

 世界一幸せな国だと言われているデンマーク、社会福祉にやさしいデンマーク、医療費全てが無料のデンマーク。
しかし、これが現状です。
 
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